スターシップの歴史


Jefferson Airplane

1966年、サンフランシスコの歌手で画家のMarty Balin(マーティ・バリン)が、自分のクラブに自分のバンドを持ち、みんなが音楽を聴きながら踊ることが出来るクラブをつくりたいという夢を持ち、同じくサンフランシスコで活躍していたギタリストのPaul Kantner(ポール・カントナー)、Janis Joplinなどとセッション経験のあるリード・ギターのJohma Kaukonen(ヨーマ・コーコネン)、ベースのBob Harvey(ボブ・ハーヴェイ)、ドラムスのJerry Peroquin(ジェリー・ペロクィン)、女性ヴォーカルのSigne Anderson(シグニ・アンダーソン)、といったメンバーを集めてバンドを結成しました。そして3人の出資者により、クラブも完成、Matlix(マトリックス)と名付けられました。

しかしすぐにBob Harvey と Jerry Peroquinは脱退し、代わりのベーシストにJorma Kaukonenの幼なじみのJack Casady(ジャック・キャサディ)、ドラムスにMarty Balinが惚れ込んだAlex Skip Spence(アレックス・スキップ・スペンス)が加入。しかしこのAlex Skip Spenceは本来ギタリストで、ドラムの経験は学生時代に鼓笛隊をやっていただけというものでした。

さて、グループに名前をつける事になったのですが、Jorma Kaukonenがギタリスト仲間と、架空のブルース・ギタリストの名前を考えていて、その時に出てきた名前が、Blind Thomas Jefferson Airplane。これは実在するブルース・ギタリストのBlind Lemon Jeffersonと、Thomas Jefferson大統領、そしてマリファナを長く吸う為の道具であるJefferson Airplaneを合わせたものですが、これを縮めてJefferson Airplane (ジェファソン・エアプレイン)になりました。

Takes Off

そして遂にファースト・アルバム「Jefferson Airplane Takes Off」を発表しますが、日本では、売れないと思われたのか、発売されず。しかし、リーダーのMarty Balinの絹のような甘い歌声が良く生かされた、優れたフォーク・ロックアルバムになりました。

この後、Alex Skip Spenceは、ギターに専念するため脱退し、Moby Grapeという伝説的なバンドを結成します。そしてSigne Andersonも、出産と子育ての為に脱退します。代わりにJefferson Aiplaneを意識して活動していた The Great Societyの女性リードヴォーカル、Grace Slick(グレイス・スリック)、ベテランのジャズ・ドラマーSpencer Dryden(スペンサー・ドライデン)が参加します。そしてわずか2週間のレコーディングで作られた2ndアルバム「Surrealistic Pillow」を発表。この意味不明のタイトル、レコーディングにも参加したGrateful DeadのJery Garcia(1995年没)が、「枕と同じくらい超シュール(現実的)だ」という感想を残した事から付けられました。

これが日本ではファースト・アルバム扱い。このアルバムから「Somebody To Love (あなただけを)」(第5位)、「White Rabbit」(第8位)などヒット曲が飛びだし、その名を全米規模にします。ライブでも全米を回り、優れたライブバンドとしての評価も高めました。また、この頃から彼らの音楽は、サイケデリック・ロックと呼ばれ、サイケデリック(脳をかきまわす)という言葉を全国に広めました。

Psychederia

その後、レコーディングに3カ月も掛けて作られた3rdアルバム「After Bathing At The Baxter's Jefferson Airplane (旧題 ヒッピーの主張)」は、商業的には良い結果を出せませんでしたが、後に優れた評価をうけ、モンタレー・ポップ・フェスティバルにも参加。そのあとに発表した4thアルバム「Crown Of Creation (創造の極致、旧題 忠臣蔵)」は、ジャケットに広島の原爆のきのこ雲の写真を使用して話題を呼び、商業的にも良い結果を出しますが、この頃からMartyがヴォーカルをとる曲が減り、バンドの主導権がMarty BalinからPaul Kantnerに移っていきます。

翌年の1969年には、初のライブアルバム「Bless Its Pointed Little Head (フィルモアのジェファソン・エアプレイン)」を発表。ライブ・バンドとしてのエアプレインの魅力が存分に発揮され、やはり優れた評価を受けました。

さらにベトナム戦争への反戦を歌った6thアルバム「Volunteers」を発表。Paul Kantnerによって、更にバンドが政治的な方向に向かっていきました。そして、あの伝説のウッドストック・フェスティバルにも参加。さらに同年、オルタモントでのコンサートである事件が起こります。

Hot "Fuckin'" Tuna

このコンサートは、ローリング・ストーンズをメインにし、Jefferson Airplaneが1st Actを努めますが、「We Can Be Together」を歌っている途中、客席で警備員のヘルズ・エンジェルスが客を殴っているのをみたMarty Balinが客席に飛びおり、その警備員を止めようとしますが、逆にその警備員にボコボコに殴り返されてしまいます。最終的には観客が1人死亡するという事態に及びました。この事件を「オルタモントの悲劇」と呼びます。

このショックでSpencer Drydenが脱退、Grateful Deadの兄弟バンドであるNew Riders Of Purple Sageを結成。愛を歌っていたいMarty Balinは、政治的な方向に走って行ったバンドに自分の居場所を無くし、また、親友であるJanis Joplinの死にショックを受け、やはり脱退します。そしてGrootna(グルートナ)というグループをプロデュースします。更にJorma KaukonenとJack Casadyは、純粋にブルース・プレイを楽しむ為にHot Tuna(ホット・ツナ)を結成、エアプレインと平行して活動します。そして1stアルバムであるアコースティック・ライブ・アルバム「Hot Tuna (ニューオーリンズ・ハウスのホット・ツナ、旧題:ブルース)」を発表。

更にPaul Kantnerもソロ活動を開始。1970年に、Grace Slick、Jorma Kaukonen、兄弟のPeter Kaukonen、Jack Casadyといったエアプレインのメンバー、Grateful DeadのJerry Garcia、Mickey Hurtや、CSN、Quicksilver Messenger ServiceのDavid FreibergといったPaulになじみの深いミュージシャン達の協力を得て、Paul Kantner Jefferson Starship名義で「Brows Against The Empire (造反の美学)」というアルバムを発表。これはSF界の権威であるヒューゴ賞に、音楽アルバムとして初めてノミネートされるという評価を受けました。

低空飛行

このあと、そのHot Tunaのメンバーでもある、黒人の老フィドル(電気バイオリン)奏者のPapa John Creach(パパ・ジョン・クリーチ)、ドラムスのJoey Covington(ジョーイ・コヴィントン)がエアプレインに加入、エアプレインは自身のレーベルであるGrunt(グラント)を設立、Grunt名義で1970年にアルバム「Bark」を発表。71年には、Paul Kantner, Grace Slick名義で「Sunfighter」を発表。ジャケットには、二人の子供であるChina Wing Kantner(WingはGrace Slickの本名)が使われています。

71年、Hot Tunaは2ndアルバム「First Pull Up Then Pull Down (エレクトリック・ホット・ツナ)」を発表。邦題が表す通り、前作と変わってエレクトリック・ライブ・アルバムです。そして72年には、ドラムスに元Turtlesで、CSNにも参加していたJohn Barbata(ジョン・バーベイタ)、同じくドラムにHot TunaのSammy Piazza(サミー・ピアッツァ)を迎えて、「Long John Silver」を発表しますが、かつてほどの勢いは感じられなくなります。

73年、Quicksilver Messenger Serviceを抜けたDavid Freiberg(デヴィッド・フライバーグ)をヴォーカルに補充、Peter Kaukonenもベースで参加したライブアルバム「Thirty Seconds Over Winterland (ウィンターランドのジェファソン・エアプレイン)」を発表。このライブは、事実上のラスト・ツアーのライブですが、エアプレイン最後のライブには、Marty Balinが最後に飛び入りするというハプニングもありました。

同年、Paul Kantner, Grace Slick, David Freiberg名義で、「Baron Von Tollbooth And The Chrome Nun (トルブース侯爵と尼僧クローム)」を発表。Hot Tunaのメンバーや、Grunt所属のジャック・トレイラー・バンドのギタリストCraig Chaquico(クレイグ・チャキーソ)、Rod Stewert Bandに在籍していた万能プレイヤーPete Sears(ピート・シアーズ)らをゲストに迎えています。Marty Balinは自身がリーダーでヴォーカルもとるバンドBodacious D.F.(ボディシャスDF)を結成しますがアルバム1枚発表して解散。Hot Tunaは5thアルバム「Phosphorescent Rat」を発表してエアプレインと決別。エアプレインは解散となります。

Jefferson Starship Takes Off

Paul Kantnerは、Grace Slick(vo)、David Freiberg(B, Key)、John Barbata(D)、Papa John Creach(F)、Craig Chaquico(G)、Pete Sears(B, Key)といったメンバーで、Jefferson Starshipを結成、飛行機から宇宙船に乗り換えて「Brows Against The Empire」からのスターシップ構想を本格化させます。なお、Papa John CreachはHot Tunaをやめ、Jefferson Starshipに専念します。

Dragon Fly -空-

そして74年、Jefferson Starshipとしての1stアルバム「Dragon Fly」を発表。曲調も、AOR風の曲が増えました。すでにサイケデリックの香りはありません。1曲目の「Ride The Tiger (吠えろタイガー)」をシングルヒットさせます。なお、Marty Balinが「Caroline」でヴォーカルをとり、ゲストメンバー扱い。また、同年Grace SlickはPaul Kantner, David Freibergの協力を得てソロアルバム「Manhole」を発表。Hot TunaのJorma Kaukonenがアルバム「Quah」でソロデビューしています。

Red Octopus -水-

75年には2ndアルバム「Red Octopus」を発表。このアルバムからMarty Balinが正式復帰。Martyがヴォーカルをとるシングル「Miracles」は全米第2位のヒットを記録し、アルバムも高評価を受け、バンド史上初の1位を獲得。この後Papa John Creachが脱退。Hot TunaはドラムスをSammy PiazzaからBob Steelerに入れ替え、名作「America's Choice」を発表。

Spitfire -火-

76年、Jefferson Starshipは3rdアルバム「Spitfire」を発表、Martyの歌うシングル「With Your Love」のヒットも手伝いプラチナ・ディスクの売り上げを記録します。このころすでにMartyとGraceのツインヴォーカルによるAOR路線が確立、Paul Kantnerの力は弱くなっています。翌77年、Hot Tunaはライブアルバム「Double Dose」を発表して解散してしまい、各々ソロ活動の道を歩みます。

Earth -地-

間を置いて78年に発表した4thアルバム「Earth (地球への愛にあふれて)」はJefferson Starshipの魅力が存分に発揮された大名作で、Marty Balinが歌う「Count On Me」が3位のヒット、「Runnaway」も8位のヒットとなります。更に同年、ベストアルバム「Gold」を発表。これにはアメリカのTVスペシャル番組「Star Wars」のテーマ曲に起用された新曲「Light The Sky On Fire」も含まれており、大ヒットを記録します。

第2期 Jefferson Starship

その後、Paul Kantnerとの音楽性の違いでMarty Balinの再脱退、そしてGrace Slickの薬物によるノイローゼによるリタイア。2人のヴォーカリストを失ったJefferson Starshipは、Elvin Bishop Groupで活躍していたMickey Thomas(ミッキー・トーマス)を加え、John Barbataの交通事故により、ドラムも元JourneyのAynsley Dunber(エインズリー・ダンバー)に交代、79年にハードロック路線で出した6thアルバム「Freedom At Point Zero(フリーダム・ポイント・ゼロ)」は、バンド史上初の完全な男所帯となり、代わったMickey Thomasのハイ・トーン・ヴォイスをフルに生かしたシングル「Jane」が14位の大ヒットを記録。路線変更は商業面では成功します。

翌80年、Grace Slickはソロアルバム「Dreams (夢)」で復帰。このアルバムはGraceの声が充分に楽しめ、好セールスを記録。81年にはハードロック路線のソロアルバム「Welcome To The Wrecking Ball (戦慄)」を発表。同年のJefferson Starshipの7thアルバム「Modern Times」にはゲスト扱いで復帰。Mickey Thomasとのツインヴォーカルを 売りに、「Stranger」がスマッシュヒットします。

ハート悲しく

またこの81年にはMarty Balinもソロ活動を開始。完全にAOR路線に転向し、シングル「Hearts (ハート悲しく)」は全米でも大ヒットしたほか、日本でもそのメロディが受け、大ヒットします。また、この曲は稲垣潤一のデビューアルバムでも採り上げられます。そしてこの「Hearts」を含むソロ1stアルバム「Balin (恋人たち)」もヒットしました。そして日本公演まで実現します。

82年、Jefferson Starshipは8thアルバム「Winds Of Change (奇蹟の風)」を発表。このあとドラムがAynsley Dunberから、Mickey Thomasと同じくElvin Bishop GroupのDonny Boldwin(ドニー・ボルドウィン)に交代します。

翌83年、Jefferson Starshipのメンバー及びJack Casadyといったメンバーで Paul Kantnerが久々にソロアルバムを「Planet Earth Rock and Roll Orchestra」を制作。同年にはMarty Balinもソロ第2弾「Lucky (ラヴ・ソング ス)」を発表します。さらに日本のみ発売のミニアルバム「There's No Shoulder (一人のままで)」では、「Regrets Of The Rain (雨のリグレット)」を含む稲垣潤一の曲をカヴァー。

Hijack Starship!!

同年、エレクトリック色の強くなった9thアルバム「Nuclear Furniture」を発表、Grace Slickもソロアルバム「Software」を発表。こちらもプロデューサーにPeter Wolfを招いて、かなりエレクトリック色の強いものになり、この後のStarshipに通じるものを感じさせます。しかしここで、バンド結成時の唯一のオリジナルメンバー、Paul Kantnerがバンドの方向性に不満を抱いて脱退。なんと、Jeffersonという名前を巡っての裁判になります。この裁判はPaul Kantnerが勝ち、残ったメンバーはJefferson Starshipを名乗れなくなりました。

しかし、Paul KantnerはMickeyにStarshipの名前を500ドルで売り、Jeffersonを取って、Starshipとして再出発する事になりました。ここで、これからのバンドの方向性を決めるうちに、David Freibergが脱退。

Starship, KBC Band

Mickey Thomas(Vo), Grace Slick(Vo), Craig Chaquico(G), Pete Sears(B), Donny Baldwin(D)の5人で再出発する事になったStarship。プロデューサーにPeter Wolfを迎えて曲調もハードロックからシンセサイザーを多用したエレクトリカル・ポップになり、 作詞・作曲も、ほとんど外注にしました。そしてシングル「We Built This City (シスコはロックシティ)」が、バンド歴史上はじめての全米No.1を獲得、2ndシングル「Sara(セーラ)」もNo.1。この2曲を含んだアルバム「Knee Deep In The Hoopla(フープラ)」も、勿論大ヒット。

86年、なんとエアプレイン黄金メンバーのPaul Kantner, Marty Balin, Jack Casadyの3人が組んで、サポートメンバーとしてMark "Slick" Aguilar(マーク・スリック・アグィラー)、Tim Gorman(ティム・ゴーマン)らと共に、彼らの頭文字をとって「KBC Band」というバンドを結成。Martyがヴォーカルをとるオフコースのカヴァー「Sayonara」が注目を惹きます。

愛はとまらない

同年、映画「マネキン」の主題歌となったStarshipのシングル「Nothing's Gonna Stop Us Now(愛はとまらない)」がNo.1の大ヒットとなり、年間でも4位の売り上げとなります。この後ベースのPete Searsが脱退し、Jerry Garciaらとソロアルバム「Watchfire (かがり火)」を発表。4人編成となったStarshipはの「Nothing's Gonna Stop Us Now」を含む2ndアルバム「No Protection」を発表します。

しかし、バンドのスタイルと自分の年齢に食い違いを感じたGrace Slickが脱退。補充メンバーとして、以前からStarshipのライブに加わっていたキーボードのBret Broomfield (ブレット・ブルームフィールド)、ベースのMark Morgan(マーク・モーガン)が加入。89年に「Love Among The Cunnibals」を発表、その中から「It's Not Enough」(12位)のヒットを出します。

Jefferson Airplane再結成

89年、Marty Balin、Paul Kantner、Jack Casady、Jorma Kaukonenといった、 Spencer Drydenを除くオリジナル・メンバー達が、なんとJefferson Airplane を再結成! アルバム「Jefferson Airplane」を発表。シングルカットされた 「Summer Of Love」もヒットします。そして全米ツアーも敢行。しかし、ロー リング・ストーン誌の「最も歓迎されない再結成バンド」に選ばれてしまいま す。

しかし、エアプレインの再結成がきっかけでHot Tunaも再結成され、翌90年にアルバム「Pair A Dice Found」を発表。同年、Marty Balinは新曲4曲を含むベストアルバム「Balince」を発表。 一方Starshipは、その後、Mickey Thomas加入以降のベストアルバム「Ten Years And Change 1979-1991」を発表しますが、Craig Chaquico、Donny Boldwinの脱退により、Starship結成時のオリジナルメンバーはMickey Thomas だけとなってしまいます。また、同年Marty BalinはWild Bandを率いて、 Jefferson Airplane時代のセルフカヴァーも含むソロアルバム「Better Generation」を発表。Pete SearsはHot Tunaに加入します。

Jefferson Airplaneの再結成ツアーを終えたPaul Kantnerは、KBC BandのMarc "Slick" Aguilar、Tim Gormanと、一時的にWooden Shipを結成。その名の通り、アコー スティック・ライブを繰り広げました。

Acoustic Chaquico

Starshipを抜けたCraig Chaquicoは93年、アコースティック・ギタリストとして見事にソロデビューを果たし、1stアルバム「Acoustic Highway」はビルボードのIndependent Adult Alternative/New Ageチャートで年間トップを記録。翌94年の2ndアルバム「Acoustic Planet」では、Jefferson Starship時代の「Find Your Way Back」をセルフカヴァーし、グラミー賞ノミネートも受けました。そして96年、3rdアルバム「A Thousand Pictures」を発表しました。

Jefferson Starship The Next Generation

かたや、Jefferson Airplaneからは、Jorma Kaukonenが脱退、その後、なぜか またバンド名をJefferson Starshipに変え、Papa John Creachが再参加(1994 年死亡)、ギターとキーボードは、それぞれ元KBC BandのMark "Slick" AguilarとTim Gorman、ドラムスには元TubesのPrairie Prince、World Entertainment Warから、女性ヴォーカルDarby Gouldを加え、93年からDeep Space / Virgin Sky Tour を敢行。このツアーには、Signe AndersonやGrace Slickがたまにゲスト参加しました。95年の6月にはライブアルバムである 「Deep Space / Virgin Sky」を発表。日本でライブも行ないました。

その後Darbyは抜けてDiana Manganoが正式女性ヴォーカルになり、 97年にはライブビデオも発売、Summer Of Love 30th のイベントにも 参加しました。この年は、Hot TunaやPete Searsも単独来日ライブを 行なうなど、来日ラッシュでした。 98年にはスタジオ・アルバムも発売が予定され、今後の活躍が期待されます。


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