病室の太陽

 まだ寒い晩冬のある日でした。その日も夕焼けは紅に空を染め、雲は金色に輝くのでした。そして、蒼い夕闇が頭上を覆い始める頃ーーー今日もその病室の窓際には、いつもの少女が座っていたのでした。そして彼女は横たわる母親の傍らで本を広げ、静かにページをめくるのでした。蜜柑色の残照の中で、時間はゆったりと流れていました。

 デイルームの隣の4人部屋には、病状が進んだ寝たきりの女性患者が入院していました。その中で窓際に横たわるHさんは、クロイツフェルド・ヤコブ病−−−略してCJDと呼ばれる難病の、五十歳位の主婦でした。
 CJDは、ウイルスが原因と考えられている、脳の感染症です。病原ウイルスはまだ不明で、治療法もありません。従って患者は、病状の進行に身を委ねるしかないのです。ウイルスは脳を破壊し、痴呆や痙攣を引き起こします。そして患者はやがて痴呆が進み、動けなくなってしまうのです。そうなってもCJDは直接生命には影響しないので、患者は体力が続く限り、生ける屍として生き続けるのです。
 私が4階病棟で働き始めた時、Hさんは既に病状が進行し寝たきりで、重度の痴呆のために意識もはっきりしないようでした。もしかすると、娘さんや家族の顔も分からなくなっていたかも知れません。首を少しのけ反らせて虚ろな目を天井に向け、時折呻き声をあげるHさんの姿はどこか人間離れして、鬼気迫るものがありました。普通の人なら、近ずくのをためらうことでしょう。しかしHさんの家族は、誰かが毎日のように病室を訪れては、夕暮れからのひとときをHさんと共に過ごしてゆくのでした。
 原始、女性は太陽であった−−−
 毎日のように訪れる家族達に囲まれて、Hさんは今も、まさに家族の太陽でした。

 Hさんの斜め向かいには、Iさんという年配の主婦が寝ていました。確か、シャイ・ドレーガー症候群という神経難病でした。それは自律神経が変性して血圧や体温など体の機能調節ができなくなり、やがて寝たきりになる病気です。Iさんはもう目も口もぎゅっとつぶったまま、気管切開までしていて、病状はほとんど末期状態でした。つまり年の頃も状態も、Hさんと同じようなものでした。
 しかし、全く違うことがありました。Iさんには、めったに家族の面会が無かったのです。私が知っている限りでは、誰もIさんを見舞いに来たことはありませんでした。身寄りが無い訳ではありません。もしも仕事などで忙しかったにしても、月に一度や二度は来れそうなものです。それが面会に来ないということは、「来たくないから来ない」ということなのでしょう。
 それは、Iさんに限ったことではありません。4階神経内科病棟の重症の患者の多くも、面会者はあまり無いのです。私が働くこのH病院は、駅からバスで20分近くかかり、その不便さが見舞いにくくしていることもあるのでしょう。しかしそれにしても、自分の妻や夫や親を放っておくというのも、納得のいかない話です。Hさんの夫君などは、病院の傍に駐車場を借り毎朝車で病院に見舞いに来た後、車を停めてバスで通勤し、帰りに病院に寄り車で帰る、ということまでしているのです。そこまではなかなかできないにしても、病に苦しむ肉親を、見舞いもせずに放っておけるものなのでしょうか・・・
 そう考えていた私は、ふと1年前の秋の事を思い出したのでした。

 1年前の秋、私は循環器内科病棟で実習していたのでした。そこで受け持った患者のNさんは、心臓弁膜症という心臓病のために半年以上も入院していました。しかし病状は悪化傾向にありながらも安定しており、何事もなく実習の日々は過ぎていたのでした。そんなある日−−− 突然、Nさんは騒ぎを起こしたのでした。Nさんは治療のために間食が禁止されていたのですが、その日、隠れて食べていたのを見つかってしまったのです。それを注意されたのがきっかけで、彼は人目もはばからずに大声で泣きながら、不満や不安を訴え始めたのでした。
「親ははっきりとは言わないけど、入院費用を出すのが大変なんだ。ここは7人部屋なのに一日何千円も差額ベッド代がかかるから、いっそ廊下に寝かせてくれ!」
 私の脳裏に泣きながらそう訴える、まだ三十過ぎの色白な痩せたNさんの姿が、鮮烈に蘇ってきたのでした。
 1日数千円の室料差額、つまり健康保険で賄い切れない入院経費の負担は、一月に十万円から二十万円にもなります。その上に治療費の自己負担分や患者の小遣いなどが加われば、長期入院患者の全ての治療費はちょっとしたサラリーマンの月給など、あっと言う間に食い潰してしまいます。そして多額の治療費の負担は、残された家族に重くのしかかってゆくのです。そんな状況では、家族は生活と治療費の支払いで精一杯で、患者を見舞う気持ちになる余裕など無くて当然なのかも知れません。
 普通は病気が慢性化し長期入院する時は、費用が安い老人病院などに転院するのが普通です。しかしそのような病院は、重症の神経難病患者を治療する事ができません。このH病院では当たり前に使われている人工呼吸器も、一般の病院では2,3台を救急用に持っているだけで、呼吸器が必要な患者に常にそれを使う事はできないのです。つまり重症の神経難病患者と家族は、費用がかさむ設備が整った病院で生きるか、あるいは死を選ぶしかないのです。
 しかし、多額の費用と引き換えに手に入れる命も、家族の顔も見えず分からず話せない、「ただ生きているだけ」の生ける屍としての命であることが少なくありません。その上、家族は生活と治療費の工面に疲れ、気持ちも患者から離れてゆく・・・
 HさんとIさんが居る病室を訪れる度に、私はそんな事を思い、複雑な気持ちになるのでした。

 まだ少し肌寒い、しかしもう春も近いある日−−−
 その日も夕焼けは紅に空を染め、雲は金色に輝くのでした。そして蒼い夕闇が頭上を覆い始める頃、その日もその病室の窓際には、いつもの少女が座っていたのでした。そして彼女は横たわる母親の傍らで本を広げ、静かにページをめくるのでした。蜜柑色の残照の中で今日もまた、時間はゆったりと流れるのでした−−−。

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