ディメンシア 〜2Kのプリンセス〜

 テレビの中でパレードが、ゆっくり進んでいきました。少しはにかみながら手を振る白いドレスの乙女は、ついこの間までただの普通の、大人しい女子大生。その日、2LDKのプリンセスは生まれたのでした。

 94年9月、私はS保健所で、保健婦(士)の実習をしていたのでした。地域の保健衛生行政を担当する保健所の保健婦には、大きく分けて二つの活動があります。一つは患者宅への家庭訪問保健指導、もう一つは保健指導教室や健康相談など、保健所内での活動です。そして2週間の実習のうちには、2回の患者家庭訪問も予定されていたのでした。

 私が訪問したのは、県営団地に住む87歳の痴呆の女性のKさんと、同居している娘夫婦でした。一回目の訪問は、保健婦に同行しての見学でした。そして私は保健婦に勧められて、彼女が介護者である六十過ぎの娘と話す間、Kさんの相手をしていたのでした。
 私は在宅の痴呆患者に接するのは、初めてでした。それまで関わったのは、病院の入院患者だけだったのです。老人は環境の変化への適応力が弱く、病院や施設では適応できずに痴呆症状を起こし、自宅では治まる、という事もあるといいます。それで私は、自宅で介護されている痴呆老人の、病状や生活や介護の実態に興味を持っていました。

 Kさんは、狭い台所に置かれたちゃぶ台の前に座り、テレビを見ていました。
「おばあちゃんは何だか知らないけど、ここが好きなのよ。手先を使うと脳に刺激になっていいって言うから今、折り紙折らせてるんだけど」と娘は言いました。
「おばあちゃん、男の人嫌いじゃないよねぇ。ちょっとお兄さんとお話してたら」
娘が声を掛けても、老婆はじっと縮こまっていました。私は彼女の斜め向かいに座り、こんにちは、と声を掛けました。Kさんは少しうつむいてもじもじと、あいさつを返しました。見たところ、身繕いはきちんとできていました。痴呆の場合、なりふり構わなくなる事があるのですが、Kさんはその点はしっかりしているようでした。
「Kさん、体のあんばいはいかがですか」
 私は首をかしげ、Kさんの顔をのぞきこむようにして聞きました。あんまし良くないねえ、とか、そんな感じの言葉が返ってきました。彼女はテレビを表情も変えずに少し見ては、うつむいてうとうとし、少し私の問いに答え・・・ という感じで過ごしていました。歯が無いせいか少々聞き取りにくいのですが、彼女は問いには結構普通に答えました。それで、私はKさん自身の痴呆による問題行動の方へ、話を誘導してみたのでした。
 痴呆患者の問題行動は、患者なりの考えがあっての行動であると言います。例えば、Kさんは置いてある服を引き裂く事があるのですが、彼女は以前縫い物が好きだったらしく、自分では繕い物をしているつもりのようなのです。ただ、気持ちは「繕い物」でも、その方法の記憶が「繕い物=破る」と混乱しているため、痴呆行動が結果として起こるらしいのです。それで私は、患者が自分の痴呆行動をどう認識しているか、聞き出してみようと考えたのでした。
「Kさん、夜は眠れます?」と、私は聞きました。Kさんは昼間は、割合大人しいようでした。しかし夜中になると起き出して、うろうろ辺りを徘徊したり、服を全部脱いでベランダに出てしまう、その辺に糞尿を失禁してしまうなどの、痴呆行動を起こすのです。
「あまり眠れないねぇ、前は色々やったりもしたけどねぇ」
Kさんは、そんなような答えを返して来ました。色々やったり、と言うところが、私には気になりました。
 老人は時に、ぼけを演じる事もあると言います。彼女はもしかして、自分の事を分かっているのではないか? そんな風にさえ思えたのでした。
Kさんは脳梗塞が原因と考えられるタイプの痴呆でした。この場合「まだら痴呆」といって、精神機能の一部だけが障害され、普段は正常で、何かすると痴呆症状が現れることが良くあります。脳梗塞によって脳と記憶の一部が破壊され、その記憶が必要な行動をすると、破壊され狂った記憶による痴呆行動が起こるのでしょう。話の受け答えができるのに夜中に痴呆行動を起こすという事は、その典型と言えます。とすれば、Kさんはぼんやりとは自分の事を分かっているのかも知れません。しかし、だからといって彼女自身には、どうすることもできないのでした。

 Kさんと私が居る台所は、流しの反対側に荷物とテレビとちゃぶ台が置かれ、焼き魚臭い、相当狭苦しい所でした。台所だけでなく、Kさん宅はどこも布団や紙おむつの箱や荷物が積み上げられ、保健婦が通された部屋も布団一枚敷くゆとりしかありませんでした。室内には微かに尿臭も漂っていました。
「部屋の入口の、板の間に布団敷いて寝てるのよ」と、娘は言っていました。2Kの古く狭い団地に、荷物とおむつに埋もれるようにして暮らす痴呆老人と家族。
「三日に一回は眠れるんだけどね」と言う娘の言葉−−− それは、三日のうち二日はKさんが夜中に徘徊し、失禁し、世話のため休めない、という事なのです。高齢で具合の良くない娘の夫は、介護の頼りにはなりません。子どもも家庭に掛かりきりで、やはり頼りになりません。市のヘルパーや施設のデイケアも、充分ではありません。まともに眠る暇もなく、まともに寝る場所もなく、実の母とはいえ、よく絶えて介護を続けているとしか言い様がありませんでした。
 高齢者が高齢者を、孤立無援で独り介護する−−− 迫り来る超高齢化社会の縮図を垣間見た思いでした。そして私と保健婦は、一時間ほどでKさん宅を後にしたのでした。

 次の週、私は一人でKさんを訪問したのでした。老婆は娘と一緒に、荷物に埋もれるようにちゃぶ台の前に座っていました。やはり今日もうつむき加減で、時折うとうとしている感じでした。
「薬が変わって、今度は明け方に起き出すようになってねぇ、一昨日だったかは、暑かったのか全部服脱いで、何時間もベランダに立ってたみたいなのよ」
娘はそう言いました。私はしばらく、Kさんの状態や夫婦の健康や住まいの事などについて話し込んだ後、娘に尋ねました。
「何か、心配事はあります?」
「自分の体が壊れたときの事がねぇ。主人が入院しても困るし・・・」
 六十過ぎの娘は言いました。結局、問題はそれに尽きるのでした。そうですねぇ、としか、私には答えようがありませんでした。そして私はKさん親子に別れを告げました。Kさんは相変わらず、じっとしたままでした。すべてを知っていてか、知らずか・・・

 保健所に戻っての午後は、痴呆患者の家族への食事教室でした。痴呆患者は痴呆が進むと、食べる事すら忘れ、無理に食べさせても飲み込む事さえできなくなります。そんな時のために、少量でも高カロリー高栄養のメニューや加工食品を紹介するのが、その教室でした。参加者は15人程でした。そして栄養士が説明を始め、私たち実習生にも、液体にとろみを付けむせにくくする粉末と牛乳が回って来ました。栄養士は「味などは変わりませんよ」と言いましたが、「何か匂いが付いてまずいね」というのが、私たちの一致した感想でした。そしてどろりと固まった牛乳を弄びながら話を聞くうちに、私の胸の中には疑問が生まれたのでした。
 食べる意欲すら無くし、生存に最低限必要な摂食本能をも失った痴呆老人に、無理に栄養を補給し生き長らえさせることに、果たして意味があるのでしょうか・・・?
 一昔前までは、自宅で老衰して大往生という、眠るような安らかな死がありました。それが今はほとんど無い原因は、患者が自力で生きる力を失っても、機械や薬や栄養補給によって「生かしてしまう」ためなのです。自然界の生き物は、自力で生命維持ができなくなった時、その命を終える宿命を持っています。それは人間も同じでしょう。その命の自然な終末に盲目的な延命を図ることは、単に痴呆患者と家族の苦痛を引き延ばすだけにはならないでしょうか?
 痴呆患者の介護には、想像を絶する苦労が伴います。常識や理屈は通じず、家族は痴呆行動を受け入れるしかありません。生活は患者に振り回され、経済的負担も多大です。介護が長引くにつれて家族は疲れ、心は患者から離れていってしまいます。患者本人にしても、食べる事を放棄し死へのいざないに身を任せた時に、無理に食べさせられるのは苦痛でしょう。逆に、成り行きに任せていれば、自然に体力が落ち老衰して、眠るように楽往生できるのです。すでに「食べる」本能すら無くした痴呆末期では、空腹の苦痛は感じないでしょう。それならば延命を家族が望まないなら、遠からず命が終わる終末期の痴呆患者には、人為的な延命はせず自然に任せる事−−−消極的安楽死という選択肢を与えても良いのではないでしょうか・・・???

 私の脳裏には、訪問した時、擦った梨を一生懸命食べていたKさんの姿が浮かんでいました。Kさんはまだ、大丈夫。いつか選択の時が来るまでは、彼女は狭い台所のテレビの前に座り、2Kのプリンセスでいられるのです。Dimentia「痴呆」−−−お姫様の名前のような響き。痴呆という名の、プリンセスのまま・・・

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