4階病棟には、ほとんど患者が入れ代わらない病室がありました。そこは4人部屋で、パーキンソン病が二人と、ALSとハンチントン舞踏病の患者が一人ずつ入院していました。4人は皆女性で身動きできない重症、一人だけ五十前後で、三人は老人でした。
パーキンソン病は、二千人に一人の割合で発生する神経難病です。特に65歳以上の老人では、五百人に一人はこの病気に羅患します。決して少なくはない病気なのです。パーキンソン病では、脳のある部分が破壊され、そこで産生されるドーパミンと言う化学物質が不足します。それは神経細胞間の情報伝達に必要な物質で、それがないと脳神経系は正常に働けません。その結果、動きが鈍くなる、指先が小刻みに震える、体が固くなるなどの症状が現れるのです。初期は薬で症状を軽減できますが、数年後には薬も効かなくなります。そして他の神経難病と同じく、やがて寝たきりになり、動くことも話すこともできなくなるのです。
その病室は、いつもどこか寒々としていました。全くと言っていいほど、見舞いの人が来なかったのです。花も無く、大した私物も無く、ベッドサイドは殺伐としていました。そして夜になると、淋しいのか具合が悪いのか、一人の老婆が延々と唸り声を上げ続けるのです。4人とも寝たきりで、話せず、鼻から入れたチューブの経管栄養で生き長らえている状態でした。とはいえ、経管栄養さえあれば、当分姥桜たちは散りはしないのでした。しかしそれ以外にもはや手の出し様は無く、看護婦や看護助手さえも、その病室にはあまり立ち寄りませんでした。しかしそんな病室の一角にも、オアシスがあったのでした。
Nさんは、六十過ぎの重症のパーキンソン病の女性でした。もう動く事も話す事もできないのですが、意識はあるらしく、そばで見ると、細く目を開け天井を見ているのでした。小柄な彼女には鼻から経管栄養のチューブが入り、股間から尿道カテーテルが出て、もはや栄養を排泄物に変えるだけの存在になっていました。しかしNさんの旦那さんは、そんな姿になった彼女を、毎日のように見舞いに来ていたのでした。
Nさんの旦那さんも、小柄な人でした。ごま塩頭の彼は趣味で畑を作っているらしく、よく野菜や御浸しや漬け物を差し入れしてくれました。そして旦那さんはしばらくNさんと過ごした後、デイルームで一服するのでした。ちょうどその頃は夕食時になり、私たちは患者の食事を介助しながら、よく彼と世間話などをしていました。そして旦那さんが帰った後には、Nさんのオーバーテーブルの上にはいつも花が飾られていて、殺伐とした病室の空気も少し和らいでいるのでした。
Nさんが床に伏し、見る影も無くなっても、毎日のように通ってくる旦那さん。−−−病める時も健やかなる時も、これを敬い、愛しますかーーー そんな言葉の誓いより、もっと素晴らしい愛情が、花瓶の質素な花からは感じられるのでした。
そんな春のある日、ナースステーションのカウンターに、八重桜の枝が何本か活けてあったのでした。
「これ、Nさんが持って来たのかな?」
そうに違いないと思いながら、私は一緒に働く助手の女の子に聞いたのでした。
「そうみたいですよ、奇麗ですよね」と彼女は答えました。濃淡二色の八重桜は殺風景な病棟に、文字通り花を添えていました。冷暖房完備で季節感の無い病棟にまで、春風が吹いて来たようでした。
しかし、穏やかな気分は長くは続きませんでした。ナースステーションでNさんの看護記録をめくっていた私は、一行の衝撃的な記録を見つけたのでした。
「訪室時、口にタオルを詰めていた」
たった一行の記録が、私の心を釘付けにしました。動けないはずのNさんが、どうやってタオルを口に詰めたのでしょうか・・・ それより、何のためにそんな事を・・・? なぜ? と私は看護婦に聞いたのでした。
「死にたかったんじゃないの」と、看護婦はさらりと答えました。予想はしていましたが、それでもそれは衝撃的な真実でした。
あれほど旦那さんが尽くしているのに、なぜ・・・ と、まず私は思いました。
「それにしても、どうやって・・・?」
「どうやったんだろうねえ。でもね、患者さんって、本気で死のうと思ったら、何だってするよ」
主任看護婦がそう言いました。私の脳裏に、自由にならない手を少しずつ、少しずつ、必死に動かしてタオルを口に詰めようとするNさんの姿が浮かびました。そこまでして死にたかったのは−−−毎日来てくれる旦那さんを気遣っての事かも知れない。愛すればこそ、自分の変わり果てた姿を見せたくない、世話を掛けたくないと思ったのかも−−− 私には段々そう思えて来たのでした。
「こういう病気って、長くなってくるとね、もう終わりにしよう、患者を殺して自分も死のう、そう思う人も結構いるんだよ」
主任看護婦の言葉は、私の心に突き刺ささりました。
医療者にとって、患者の病いも家族の悩みも、結局は他人事です。看護者も医師も、教科書通りに体位交換し、経管栄養を指示し、延命を図る・・・ ともすれば医療者は、医療を教科書通りに盲目的に行いがちです。その医療行為が患者や家族にとって本当に必要か、どんな意味を持つかまで考える事が、どれだけあるでしょうか・・・?
現代医学は西洋医学で、それは元々怪我や伝染病など、急病を治すために発達したものです。急な傷病に倒れた時、患者も家族も生きる事を願うでしょう。その時必要なのは確かに、急場を凌ぎ延命する事です。経管栄養も高カロリー輸液も、そのためには有用です。しかし神経難病末期のような、回復の望みの無い終末期の患者や家族に必要なものは、治る希望のある急性疾病の場合とは違うのではないでしょうか? 盲目的な延命治療が、時に苦しみを引き延ばすだけになる事も、あるのではないでしょうか? Nさんのタオルの一件を考えると、私はそう思わずにはいられないのでした。
桜の花は、美しく咲いた時を終えると、最後も美しく散っていきます。しかし八重桜は、枝に付いたまま萎み、ぼたりと落ちて、美しく最後を飾ることはできません。苦しみもがき死を望んだNさんも、美しくそして安らかに逝くことは、今はできないのでした。
桜が散り葉桜になっても、Nさんの旦那さんは、いつもの様に見舞いに来ていました。病室の顔ぶれも、相変わらず同じでした。ハンチントン舞踏病のYさんなどは、意識があるのかも定かでは無かったのですが、経管栄養はその命を散らさせはしませんでした。
Yさんは、昼も夜もふがふがと意味の無い声を出しながら、手足を動かしていました。名前を呼んでも、反応はありません。脳の破壊が進み、人間らしい意識も精神機能も、すべて失われているようでした。今は脳を持たない軟体動物のように、ただ動めいているだけなのでしょう。家族からも事実上、見放されているようでした。
もはや自力で生きる能力も意欲も無く、意識も無く、家族からも見放されている−−−そんな患者に延命治療を続ける事に、何の意味があるのでしょうか・・・ Yさんを見る度に、私は疑問を感じるのでした。彼女の経管栄養を中止し、自然にその身を委ねる事が−−−なぜ消極的安楽死、尊厳死が許されない、考えられないのでしょうか・・・
人間の命は、その字が示すように、人の間、社会で人と関わり合ってこそ、人間らしい有意義なものになるのでしょう。Nさんはもう「生きた丸太ん棒」の様な状態ですが、旦那さんにとっては今も大切な妻であり、人間としての心の絆は結ばれています。ですから彼がNさんを思う限り、彼女の命は意味のあるものだと思うのです。だから、生きていて欲しい−−−
しかしそれでも彼女が敢えて死を望み、旦那さんもそれを受け入れるなら、医療者は安楽な尊厳死という選択肢も用意するべきでしょう。人生の最後を、人間らしく、その人らしく思うがままに終わる事は、人間にとってとても大切な事であるはずなのですから。
ナースステーションのカウンターには、目の醒めるような緋色のグラジオラスが咲いていました。もう、暑い夏でした。グラジオラスが枯れて来春、私がナースになる頃、Nさん夫婦はどうしているでしょうか・・・ 私は願うのでした。Nさんがもしも散ってしまうのなら、心安らかに、美しく、散って欲しい。さくらの花が散るように・・・