優しい廊下

 ピロリロリロリロリン・・・・
 4階病棟ナースステーションに鳴り響く「エリーゼの為に」のメロディ−−−その電子音が、ここのナースコールでした。
「はい、お待ち下さい・・・」
 私はナースコールの受話器を取って、そう告げました。そして患者表示盤の点滅するライトで患者を確認し、足早にナースステーションを後にしたのでした。
 4階病棟では普通の病棟と違い、コールされた時、受話器で用件を聞く事はあまりありません。神経難病の患者の多くには、「構音障害」と言う、言葉の発音がうまくできない障害が病気のために起こります。そのために、受話器越しでは患者が何を言っているか良く分かりません。また、気管切開している患者は、ナースコールのボタンは押せても話すことはできません。そこで、コールされたら直接患者のベッドサイドへ行くのです。

 コールしてきたのは、Dさんでした。私はDさんのベッドに着くと、確か車椅子からベッドに移るのを介助したのでした。DさんはSCD−−−脊髄小脳変性症という病気のために、うまく体が動かせなかったのです。
 私はDさんを抱え、ベッドに寝かせました。病気で運動量が少なくなり、使わない筋肉が痩せてしまったその体を抱えあげることは、小柄な私でも難しいことではありませんでした。そして布団を掛けてあげていると−−−構音障害のために回らない口で、Dさんが天井に向かって言葉を発したのでした。
「看護婦はあまり来てくれないし・・・話もあまり聞いてくれないし・・・これじゃ信頼なんてできないよ・・・」
 Dさんは一気に吐き出すように、いくつかの不満や思いを漏らしたのでした。間延びして、発音も不明瞭なDさんの言葉は聞き取りにくく、病気により強張り乏しくなった表情も多くを語りはしませんでした。それでもなぜか私の胸に、Dさんの言葉はきゅうん、と染み込んできたのでした。
 私はDさんに何とも答えられず−−−「何かあったら、コールして下さい」と言うだけで精一杯でした。彼の訴えをどうしようもなく、そして私は病室を後にしたのでした。

 SCD(脊髄小脳変性症)は、その名の通り小脳の神経細胞が変性・消滅し萎縮する神経難病です。小脳は大脳後方の下に半ば隠れるように存在する脳の一部で、体の各部の運動を微調整する役割を担っています。従って小脳が本来の機能を失うと、手足や口などの動きを思うようにコントロールできなくなってしまうのです。例えば、物を取ろうとして手を出した時、手が勝手に行き過ぎたり、届かずに手前で止まったりします。このような症状を「小脳性運動失調」と呼び、そのために患者は日常生活に重大な障害を受けるのです。その原因は不明ですが、多くは遺伝性で、常染色体優性または常染色体劣性遺伝することは判明しています。また、同じ様な症状でも、脳神経系の萎縮する場所が違う幾つかのタイプがあることも判明しています。しかし、いずれも治療法は未だありません。ごく短時間ならあるホルモン剤の注射で運動能力を改善することもできますが、効果は高々一時間程度で、ほとんど意味はありません。病気の進行を阻むことはできないのです。しかし不幸中の幸いに、病状の進行が非常に遅いため、リハビリテーションによってActivity of Daily Life−−−日常生活動作を工夫し確保すれば、相当な自立した社会生活が可能なのです。

 SCD自体は、生命に重大な影響はありません。しかし、人間が自立し社会生活を営む上で必要な運動能力は、容赦無く奪って行きます。結果として、患者はじわじわと進行する運動障害を抱えながらも、永く生き続けることになります。それは迫り来る死は無いものの、体の自由を徐々に奪われる、手足を一本ずつもがれるような精神的苦痛が、死ぬまで続くという事でもあるのです。
 Dさんは普段は穏やかで、「ありがとう」の一言を忘れない人でした。そんな彼が突然不満を私にぶつけて来たのも、それを考えれば無理はないのでしょう。

 Dさんの病室からナースステーションに戻ってから−−−確か私は看護婦に、Dさんの事を話したと思います。看護婦も少し驚いたような、当惑の表情を浮かべていました。それから看護婦がどうしたかは分かりません。多分、どうしようも無かったでしょう。
 看護婦が患者とあまり話さないのは、何も好き好んでのことではありません。看護職員が一般よりは充実している私が働く病院でも、60人近い患者を昼間でも10人強、夜は6,7人あるいは4人で看護しているのが現状です。つまり最悪の場合、一人で15人もの患者の世話をしなければならないのです。また看護婦は、直接患者の世話や医療処置をするだけではなく、患者の状態の記録やこれからの看護の検討など、看護付随業務もしなければなりません。結局手が回らず、ゆっくりと患者の傍にはいられないのです。
 本当は看護婦も、患者のベッドサイドに居たい−−− しかし現実は、多すぎる患者を抱え、最低限の処置と介護を追われるようにこなすのが精一杯なのです。そんな多忙な毎日に疲れ、新人ナースの多くは2,3年で「燃え尽き」て、退職してしまいます。すると業務を余裕をもってこなせるベテランは育たず、経験の浅いナースに負担がのしかかります。そして残るナースも負担に耐え切れず、辞めてしまうのです。つまり苛酷な労働がナースを食い潰し、ナースが辞めるとさらに看護労働が苛酷さを増し、またナースが辞める−−− その悪循環の結果、ナースはゆとりをもって看護ができず、患者のベッドサイドケアができない、という訳なのです。そして「苛酷な労働がナースを辞めさせ、それがさらに労働を苛酷にする」という悪循環の元凶は、現在の日本の医療体制と、その看護の扱いにあるのです。

 日本では患者が診察・検査・入院・手術などの医療を利用すると、その経費のほとんどは社会健康保険から支出されます。健康保険では医療の項目毎に「保険点数」が規定され、患者が利用した医療の点数に応じた金額が「診療報酬」として保険から医療機関に支払われるのです。しかし、健康保険に「看護」についての点数はまともな規定が無く、きちんと評価されていません。例えば医師の診察や注射には一々点数がつき報酬があっても、食事介助や体位交換などの「看護」は十把一絡げの「看護料」として扱われているのです。さらに、診療報酬の使途や職員への給与としての分配の実権は、医療機関が握っています。その結果、看護職員への給与が低く押さえられてしまうのです。
 看護は医師の医療行為と同じ高度な専門技能です。しかし実際にはそれはまともに評価されず、看護職は職務内容を考えると、医師などに比べて冷遇されています。昼夜を問わない三交替勤務や他人の排泄の世話、感染の危険や多すぎる労働量など、苛酷な労働に対して報酬が見合わなければ、辞めざるを得ないのは当然でしょう。「白衣の天使」などと言っても、ナースは所詮生身の人間です。霞を食べては生きて行けませんし、体を壊し過労死するなどもってのほかです。しかし、看護に対する社会の評価と認識が変わり、健康保険の制度が改善されなければ、現状は変わりません。そのツケは、結局患者に−−−今病気の人だけでなく、これから病気になるかも知れない全ての人に廻ってくるのです。Dさんも、現代日本の医療の問題のツケを払わされたと言えるでしょう。

 現代医学では手の付けようの無い難病に冒されたDさん。普段優しく静かに振舞ってはいても、体を蝕む病魔への不安や恐怖に苛まれ、思うように動かない体に苛立つこともあったでしょう。「たとえ医学が匙を投げた時でも、看護には無限の可能性が残されている」という言葉があります。もはや病が治らないなら、その時はQuality Of Life−−−「いかに人間らしく自分らしく、満足に生きるか」を考えることが、人の幸福のためには必要でしょう。看護は「傷病者の療養と生活を援助する」ものです。病を治療できなくても、看護職の専門知識と技能は患者の生活をより良いものにできます。看護は、患者の心を穏やかに、体を安らかに、そして最後の刻まで人間らしくその人らしく生活することを可能にできるのです。Dさんにはそのような、看護こそが必要だったと思うのです。しかし今の日本の医療は、必要な人、必要な時に、必要なだけの看護を与えることはできていないのでした。

 次の日、またコールが鳴って、私はDさんを訪ねました。確か、たばこを吸うのでデイルームに連れていったのだと思います。
 私は車椅子にDさんを乗せ、病室を出ました。そして車椅子を押しながら、廊下を少し行った時−−−不意にDさんが声を掛けてきたのでした。
「昨日はごめんね。気分悪かったでしょ」
 いいえ・・・ としか私は答えられませんでした。また胸がきゅうん、としました。
体が病に蝕まれても、心は優しく思いやりを忘れない・・・ 人が生きていることは素敵なことと、感じたのでした。
 蛍光灯が照らす、灰色っぽいリノリウムの床と白い壁の廊下−−− その日のそこはいつもと違って、とても優しく、暖かく感じられたのでした。

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