寒川光一郎の【東京JAZZ見聞録】------(8)

新しき音楽言語を求めて

今堀恒雄(Tsuneo Imahori)<後編>



ティポのグルーヴをつかめ

 「数えてはいけません。自然に体が動くのを待つんです。ハイハットの動きば
かり見ていてもいけませんよ」。ユーモラスな今堀恒雄のMCぶりに、ステージも
客席も笑いの渦に包まれる(といっても爆笑しているのは、ほとんど内輪の人間
ばかりなのだが)。強烈なゆらぎ、うねりを発する「ティポグラフィカ」(以下
ティポ〜)のサウンド。彼らのライヴにおける客席の反応というものもなかなか
興味深い。くぎづけにされ硬直しているのかはたまた脱力感におそわれている
(?)のか、微動だにしない客。大ホールの客席で大合唱とともに振られるペン
ライト(あれだけはかんべんしてほしいよな)のごとく、気持ち良さそうにゆっ
たりと横揺れを引き起こしている客。必死にビートをつかもうと手足でカウント
をキープし続け、ついには力尽き、そのズレに打ちのめされている(?)客。し
かし、ティポのグルーヴを感じるためのパーフェクト・ウェイなどというものは
ない。それは聴衆個々の生理的レヴェルでの感じ方にゆだねられていると言って
も良いだろう。逆に言えば、ティポのサウンドは従来のタテのりでは絶対にグ
ルーヴできないということなのだ。
 「今までの意識でl6分(音符)でとろうとするからズレが生じる。もっと漠然
と聴いていれば、気持ちいいところで合うはずだから」と今堀は語るが、このズ
レにまんまと引っかかった代表的な人物が、何を隠そうこの寒川自身なのであ
る。ライヴ直前の静けさ、演奏と同時に訪れる硬直、そしてカウントをキープで
きずに引き起こされるパニック(おお、これはまさしく“リップ、リグ&パニッ
ク”ではないか…アホ)。このことを、今堀恒雄は実にわかりやすく分析してく
れる。「なぜそうなってしまうのかというと、曲にもよるんですがリズム・セク
ションとかベーシックになっているものは、ある程度パルスがはっきりしてい
る。その上でなまってたりするんで、聴く側もそのパルスがちょっとでも感じら
れると、まずそこに引っぱられるんですよ。すると、そこに異質なものが加わっ
てきても、そこで閉じてしまって流れなくなってしまう」。
 個々の局面にばかりとらわれていては全体像が見えてこないというのは確かに
当然のことであって、その意味ではティポのサウンドは、システムの部分のよせ
集めだけを観察したのでは推測できない、システム全体の状態という、総合的把
握とも言うべきシナジェスティックな発想に基づいているという見方も可能かも
しれない。いずれにせよ、全体をつかみ、ティポと聴衆個々との接点として自然
なゆらぎを感じられれば、ティポは最高のグルーヴを感じさせてくれるはすだ。
「わかろうとするよりも、感じるということが大事」という外山明(ティポグラ
フィカ:ds)の言葉もまさに真理だろう。

潜入、ティポ・リハーサル

 単純にプレイするという側面からみれば、超難曲ぞろいのティポグラフィカ。
これらの曲がステージで演奏されるまでには、どのような試練の道が隠されてい
るのか。当然のことながら、ティポのリハーサルにもその興味は注がれるわけ
だ。
 今回の取材にあたり、今堀氏から貴重なテープとスコアをいただいた私は、
ティポのリハーサルへと潜入することになった。ただし今回ばかりは楽器なし
(オレがこんな難しい譜面を吹けると思ってんのか!)。いったいどんな恐ろし
い光景に出会うのか。「虎の穴」のごとき、修羅場が展開されているのかとスタ
ジオの扉を開ければ…… なんとそこは爆笑の嵐!と言ってしまうと少々おおげ
さだが、リハーサルというものを、そこそこ経験してきたつもりの私でも、こん
なに笑うことが多い明るい(?)リハーサルというのはあまりお目にかかったこ
とがない。なんてったって、「落ち込んでる時にリハーサルにくると、すごい元
気になって帰っていく」(外山)、「新曲を渡して、できなくても笑ってるヤツ
がいる」(今堀)てなもんで、メンバー個々のプレイからおかしななまりが現わ
れると、たとえ演奏中でも笑いの渦が巻き起こる。難曲もしくは革新的な作業に
取り組むストイックな姿勢などティポには皆無なのだ。
 もちろん、こんな理想的(かどうかはわからんが)なリハーサルが一朝一夕で
行なわれるようになったというわけはなく、当初はそれなりの苦労もあったとの
こと。中でも極めつけは、「『重力異状の競馬場』をつくったときは、1週間に
1、2回リハをやってたんだけど、それでも半年かかった」!!!。前編でも紹介
したように、「重力〜」は最初の3連ものといわれる作品である。「3連(符)で
とっていて、しかもとり方がパートによって違う。譜面渡して、こういうとり方
にしてくれと言ってもみんななかなかできなかった。ずれたまんまとってて、後
で帳尻合わせて平気な顔してるヤツとか、日本人の間の精神で、気合いで合わせ
たりするヤツとかね(笑)」。
 今でも難しいところがあるとテンポを落としてやってみることもあるようだ
が、最近はメンバーの経験も積まれ、ティポ自体のイディオムもより明確になっ
てきたことなどから、曲のマスターも非常に速いようである。
 ティポのリハで興味を引いたのは、全員がパート譜ではなく、スコア譜を見て
演奏しているということ。「スコアを見てないと自分の位置関係が全然わからな
い。だんだん馴れてくると、人のパート見て吹いたり、誰かがいない時でも、そ
の人のパートを演ったりとかね(笑)」と松本治(tb)は語るが、これだけ譜面
が複雑になると、逆に他のパートとの関連が密接になってくるし、他のパートを
把握していないと、何か起こったときに、あっという間に場所を見失うことも充
分ありえる。また、聴く側同様、全体像をつかむという意味でもスコアを把握す
るのは当然のこととも言えるわけなのだ。

ティポのスナップ(3)

 ニューヨークへ飛び立った大儀見 元(Perc)を除くと、最も新しいメンバー
でもある松本治。渋谷毅オーケストラのメンバーでもあり、最近では渡辺香津美
のコンサートとそのアルバム「ロマネスク」におけるコンダクト&ホーン・アレ
ンジメントが話題にもなったトロンボーン奏者である。「なんでティポに入れて
もらえたのかわからない。初めて譜面を見た時は血の気がスーッと引いて、胃が
キューッと痛くなって(笑)、全然吹けないのが自分で恥ずかしくて、家へ帰っ
て泣こうと思った(笑)」と言って笑わせる松本治だが、ティポの凄まじい音符
の嵐をいともたやすく(本人はそんなことはないと言うのだが)吹きこなしてし
まう彼のプレイは、トロンボーンという楽器の構造的側面を考えてもまさに驚異
的だ。「管(楽器)は譜面を速く仕上げることに関しても優秀。ほとんど初見で
ね。特に松本さんは異常な速さ。みんな半年くらいかかってたのが、全曲ほぼ一
ヶ月で追いついてしまったし。トロンボーンでは松本さんしかいない」とリー
ダー今堀も絶賛する。
 そんな松本治率いるバンドが、「ストレス」と「ビッグ・ストレス」である。
現メンバーは以下の通り。
●ストレス---松本治(tb)、今堀恒雄、三好功朗(g)、水上聡(kb)、
       佐野篤(b)、外山明(ds)
●ビッグ・ストレス---上記6人+望月誠人(tb)、エリック宮城(tp)、
           菊地成孔(sax)、古田正幸(hrn)、皆川智子(tuba)
 ご覧のように、ストレスのリズム・セクションは三好功朗を除き、すべてティ
ポのメンバー。ビッグ・ストレスではティポのメンバー全員が参加している。
しかし、これは単なる結果であって、前編でも紹介したように、佐野と外山に関
してはストレスでの活動を通じて今堀と出会ったわけである。
 「もともとストレスは、人集めのためにセッションとして始めたんです。まず
自由にできるというのがやりたかったし、そのためにはひとりで人前で演奏して
も遜色ない人を集める必要があった。そのうちに良かった人が残っていって現在
のメンバーになったわけです」と語る松本治。
 ミュージシャン個々のプレイヤービリティを最大限に生かしたストレスである
が、その一方で松本の興味は作・編曲にも向き始める。「譜面を書くんだった
ら、編成が大きいほうが楽しいし、管楽器も入れてオーケストレイションしてみ
ようと思って始めたのが、ビッグ・ストレス」。するとビッグバンド的発想とい
うのはあまりなかった?「全然なかった。ボクはビッグバンド嫌いですから
(笑)。ビッグ・ストレスは、そういう形態ではなくて、オーケストレイション
することを目的としたバンドなんです。私のオーケストレイションを聴いてくだ
さいっていうね」。
 オーケストレイションを主体としてスタートしたビック・ストレスであった
が、今度はそのためにつくった曲をホーン・セクション抜き、すなわちストレス
でやったらどうなるかという、ストレスに戻るような形にも更に発展していく。
「でも、ストレスにせよ、ビッグ・ストレスにせよ、新しい音楽の創造とかとは
違う次元で、“私はこういうふうに吹くのが好きです。こういうオーケストレー
ションが好きです”ということを、いかにいいメンバーでやるかというバンドだ
と思う」と松本は語る。最大限に尊重され、最大限に生かされるミュージシャン
シップ。今堀恒雄は、そうした松本のディレクションの仕方やスタンスが好きだ
と言う。「ストレスもビッグ・ストレスも、これ以上ないほど演奏者として自由
になれる場所なんです。バンマスが基本的にそういうことを考えてるからね。何
も考えず演奏だけに集中できて、かつ自分をいちばん発揮できる場所であると
言ってもいい」。

進化するリズムとなまり

 ティポの譜面には、32分音符や、16分音符の5または6連符(1拍)というのがよ
く出てくる(さらには6連符の2と5、または、3と4抜きというのもある)。一般的
に見て、16ビート主体と言われるミュージック・シーンの現状から考えれば、
ティポのリズムは明らかに先をいっているのである。しかし、(西洋の)ポピュ
ラー・ミュージックを中心とした観点からみれば、2ビート〜4ビート〜8ビート〜
16ビートというリズムの進化の上で、ティポにみられるリズムの登場は当然の結
果と言えるのかもしれない。「何か確信的なものが出てくる時は、必ずリズムと
かコードとかが細分化されてる時だから。ビバップもそうだし、アフター・ビー
トとかシンコペーションとかね。そういう時代がどんどん進んできてるわけで
す」と菊地成孔も語る。
 しかし、ティポ(または今堀恒雄)のリズム的語法というものが、単なるリズ
ムの進化における一過程として出てきたわけでないことは、しっかりと押さえて
おく必要がある。ここで、ティポのリズム的(のみならず音楽全体の)語法にお
けるキー・ワードとなるのが「なまり」である。つまり、その人ならではの語
法。少々大げさに言うならば、中央集権的発想によって閉じ込められてきた、人
間本来の言葉の復権である。前編でも紹介した、「今こうして話しているリズム
はタテ割りにはできない。だからそういうタテ割りにはできないリズムをやりた
かった」という外山明の言葉通り、今堀恒雄は、自らのなまりを細分化し、スコ
ア化し、極めて音楽的な語法にまで高めていったのである。
 「今までなまりというものは、情報的に分析不可能なものとしてブラック・
ボックスにどんどん入れられてきてしまった。アフリカやインドのなまりはどう
もよくわからない、日本人はマネできないとか。でも、それを引っばり出してき
て、手法として利用したいと思った時に、音符の細分化というのが手段として選
ばれてきたんです。その一方でコンピュータが出てきた。コンピュータは、出て
きた時から人間の能力を遥かに超えたことができた。ただそういう使われ方をし
てこなくて、結局16分(音符)の音楽を打ち込んだりしてたわけです。でも、実
際にはコンピュータやシーケンサーの持っている潜在的能力というのは、情報的
にバカでかいわけで、それが(なまりのスコア化という意味でも)大きな手助け
になったと思うんです」と語る菊地に加え、今堀も「機材を使うことによって、
自分のなまりをそのまま打ち込んでデータとして残し、それをある程度レヴェル
を落として、そのノリが出るくらいの妥協点で譜面におこす。後は口で説明して
補正するわけです」とその作業を具体的に語る。「だから、結果的に細分化して
いったという事実はあるけれど、それはどこからくるのかと言えば、やはり気持
ちがいいからということ。それがデータ的に言うと細分化されているということ
になる」。そう語る今堀の音楽性を、菊地はこんな風に語る。「なまりとかゆら
ぎとかが、音楽の中で局部的・個人的レヴェルで散らばっているということは、
今までいくらでもあったわけですけど、それが表現自体に必要なこととして、全
部アレンジの中に組み込まれているというのが、強力な音楽性ですね」。

ティポは未来のダンス・ビート(?)

 今堀が、自らのなまりを再確認するに至る大きな要因となったのは“アフリ
カ”であるという。89年、今堀は山下洋輔ユニットのアフリカ・ツアーに加わ
る。「いちばん最初にセネガルに行ったんですけれど、現地の演奏を聴いている
と、なんだかわからないけど気持ちがいい。ズレたりなまったりするのが、気持
ちとしてわかる。そこで、その演奏に合わせて自分でも一緒にうたってみると、
一致するところもくい違うところもある。その時に、こういうものがアフリカの
中ではキチンと音楽として確立されているんだと認識すると同時に、自分の持っ
ているなまりでも体系化していけばきっとできるんじやないか、みたいな気に
なったわけなんです」。
 具体的なリズムに出会ったわけでもない。ましてや薄っぺらいエキゾチック指
向の植民地主義的なワールド・ミュージックなるものに開眼したわけでもない。
今堀はアフリカのなまりに出会うことで、自らのなまりにも再び出会えたのであ
る。
 「アフリカに行って今堀くんの作風は変わった」とメンバーたちが言うように、
それ以後、今堀は自らのなまりをスコア化し、メンバーたちに伝達し、ティポ・
サウンドの重要な要素として体系化していくわけである。「最初は、デモ・テー
プとかを渡しても、譜面で追っていくしかないんで、その時点ではなまりには感
じられないんです。演奏もギクシャクしてしまって。でも、それが何回かやって
いくうちに理解されていく」と語る今堀。その理由を菊地はこう語る。「なぜそ
れが可能かと言うと、ひとつにはでき上がってくるものがいい加減ではないとい
うことです。語学を体得するのと同じで、きちんと言語的な体系としてとらえら
れるくらいの大きさとか内容を持っているんで、今堀語がわかるというような形
で、なまりを体得し、覚えることは可能なんです」。
 ということは、リズムの進化と、音楽がダンスと共に発展してきた背景も合わ
せて考えてみれば、ティポで踊ることも可能なのではないかという推論も成り立
つのではないか。「そう、絶対踊れるようになるよね。それどころか、誇大妄想
的に言ってしまえば、次のダンス・ビートになるくらいの気持ちでやってるんで
す」と菊地が答えれば、外山もそれに同意する。さらに菊地は語る。「なまって
いるから踊りづらいとかは言われるはず。タテのりで取ることができないから、
ノリづらいし、そういうふうに言われることは絶対わかっているけれど、そう
いったことは今にわかってもらえると思う。奇をてらって、ギミックとして揺ら
していたら通用しないし、そうではないことはスコアを見てもらえばわかると思
います」。「たとえば、音符を細分化し、微分やフラクタルを表現しようとした
音楽は現代音楽にもいっぱいあった。でもそれはノー・グルーヴなんです。その
一方で、踊れる音楽はハウス・ミュージックのようになっていく。つまり両方と
も極端になっていくばかり。そうではなくて、細かいところでのグルーヴという
のも必ずあるはずで、それは踊れるはずですよ」。
 ティポで踊る。一見、突拍子もないようなこの発想も、近い将来、いやひょっ
としたら明日にでも起こり得るのかもしれない。そのためには、老若男女を問わ
ず、タテ割り中心のスクェアな発想や先入観を捨て、頭ではなく、聴いたままを
体験するオープンな姿勢が必要となるはずだ。ティポのサウンドは、まさにそれ
が可能な聴衆を待っているのだ。

ティポの次なるステップ

 なまりを音楽的要素として取り入れ、新たな音楽的語法を実現させるティポグ
ラフィカ。彼らの次の目標はどこにあるのか。いまだにジャズだジャズではない
だのと、答えのない数式を解こうとしているジャーナリズムをしり目に、彼らの
夢はふくらみ続ける。「個々の負担をもっともっと軽くして、自由にしたい。た
とえばパーカッションを入れたことはそのひとつだし、それをすることによって
聴いている方もわかりやすくなると思う。曲の意図がもっとはっきり出るような
形に、メンバーを加えるなり、アレンジをするなりという作業があると思う」
と、リーダー、今堀恒雄が語れば、菊地成孔は「発展段階的に言えば、次の段階
というのは恐らく、今堀くんの語法がインプロヴィゼイションの語法になるとい
うところまで進むことだと思っている」と、ティポの次なるステップを予測す
る。「まず作曲で確立されて、アレンジで確立されて、その次はその中にある音
楽的な要素が、インプロヴィゼイションの語法として独立するというのが発展段
階ですよね。たとえばビ・バップだってそう。あれは最初は、天才の個々の仕事
だったわけで、前衛だったんですよ。でも語法的にしっかりしていたんで、みん
な取り込んで、みんなビ・バップができるようになった。ティポもそういうふう
に広がっていくと裾野が広がるんですが」と菊地は語るが、考えてみれば、この
ことは当初から今堀が目指していたことでもあるのだ。
 当初ゴールデン・パロミノスの即興のあり方にインスパイアされた今堀が、同
じ即興という手段を用いたにもかかわらず、結果としては“崩壊”ではなく“破
壊”に終わってしまったということは前編でも触れた。つまりここに、即興の難
しさや深さ、または即興にいたるまでの過程の重要さがあると言っても良いだろ
う。
 現在のティポにも、決して多くはないが、ソロ・スペースはある。しかし、そ
こで展開されるインプロヴィゼイションについては、松本も菊地も「まだまだで
す」と口を揃えて言う。そのことについては今堀も「グループ全員がきちんとで
きるようになったら、そういう曲を書きますよ、きっと。今はソロ・スペースと
言っても、ベーシックなものがあって、いわゆるジャズ的なソロ・スペースとい
う感じだから。その上でリズムのなまりともからんで、何かが生まれるという状
況までをつくり出せるようなソロ・スペースはまだないんですよ。それはこれか
らですね」と語っている。
 全員のソロ・インプロヴィゼイションが可能になれば、まさしくそれは作曲〜
アレンジ〜インプロヴィゼィションという過程を踏んだ、ひとつのジャンルの確
立に他ならない。マイルスが死んで、ジャズが死んだなどと戯言を宣う輩が数多
くいる昨今、テクノロジーの発展や情報過多なマスコミニュケイションに惑わさ
れ、人間本来の創造性を軽視しがちな昨今においても、真に創造的な作業は、常
にその当事者たちにおいては行なわれているのである。
 「インプロヴィゼイションもメロディも、もう限界まできているというのが、
だいたい80年代までのアカデミックな考え方で、メロディ限界論とか、インプロ
ヴィゼイション限界論ということになって、インプロヴィゼイションはパフォー
マンスという概念を取り入れたり、メロディはワールド・ミュージックみたいな
エキゾチックなものを取り入れていった。でも、ボクはそれが基本的に間違って
いるという気持ちがすごくあって、新しい言語体系みたいなものができて、取り
入れていけば、またさらに前に進むと思っているんです」。そう話ってくれた菊
地成孔の言葉に、なんだか勇気づけられるような気がしてしまうのは、果たして
私だけだろうか。



 ティポのライヴでは、毎回アンケートを行なっている。当然のことながら、そ
の結果が気になるところだが、回収率も非常に良く、その大半は、「気持ちがい
い」といった類のものだという。これは、頭で考え過ぎて遠回りをしてしまった
典型のような寒川パターンではなく、なまりだの、リズムの進化だのということ
とは無縁に、ごく自然な形でティポの言語を体得していく人が増えてきている証
拠なのではないだろうか。逆に言えば、ティポの言語は着実に広がりりつつある
のだ。そして、これこそティポの狙いに他ならない。「マニアとまっさらな人の
両極端を取り込みたい。あとは何かジャズにも飽きてしまった人、何を聴いても
おもしろくないという人、ディスコやカラオケが嫌いだという人もね」(菊地)。
 「ライヴ自体を、お勉強会的な雰囲気にはしたくない。イメージが壊れてし
まってもいいから(笑)、MCでバカなことを言ったり、くだけた調子にして、身
体を楽にして揺らせてあげたい」(今堀)。
 ティポのサウンドは、扉を開けてもうすぐそこまできている。そこに足を踏み
入れるか、そしてティポ体験に身体を揺さぶることができるか。それは、聴衆そ
れぞれのオープンな心にかかっている。
JAZZ LIFE '92年2月号より